「ようばけ」の賢治碑 猪狩 昌和
「ようばけ」とは「夕陽」が当る「はけ(崖)」という意味なそうだ。
場所は埼玉県小鹿野町(おかのちょう)。秩父市の隣町、奥秩父、群馬県へ続く人口1万5千人足らずの山村である。
宮沢賢治が盛岡高等農林学校2年生の時に秩父地方への地質調研修旅行でこの地を訪れている。「ようばけ」と呼ばれる赤平川右岸に続く崖は1500万年前の「新生代第三記」の地層が露出したもので高さ100m、幅400mに渡る堆積層で貝や蟹などの化石が多数発掘され、太古は海だったという。あの「イギリス海岸」の泥岩層も新生代第三記のものと推定されています。
さて、この賢治碑はこの「ようばけ」のちかくにある「おがの化石館」の裏庭に「ようばけ」を背景にかつ賢治の一年後輩で「アザリア」の同人であった保阪嘉内の碑と並んで建っています。保阪嘉内は翌年やはり地質調査でこの地を訪れています。
賢治碑
さはやかに 半月かかる 薄明の 秩父の峡の かへり道かな
嘉内碑
この山は 小鹿野の町も 見へずして 太古の層に 白百合の咲く
(付記)
2011年2月26日(土)埼玉県桶川市の社宅から車で2時間。目的は秩父小鹿野町両神村にある「あずまや山(標高771m)」登山と「節分草」の写真撮りを目的に同僚3人で出かけた。快晴で山頂からすぐ目の前に聳える両神山(りょうかみさん 百名山の一つ標高1723m)や奥秩父の山々を眺望し、節分草は時期が早く咲いていず、秩父地方の在来種という「秩父紅(朱色の福寿草)」を写真に納め、その帰りに「ようばけ」へ立ち寄った。近くには秩父事件の秩父困民党が集結した椋(むく)神社やリーダーであった井上伝蔵の生家や墓などもあり、34箇所の霊場(札所)もある。池袋から西部池袋線で秩父駅まで、東武東上線寄居経由で、高崎線熊谷駅から秩父鉄道で首都圏からわずか2時間足らずでアプローチできるウォーキングやトレッキングにも最適な探訪する価値のある山村で嵌ってしまった。 (2011年3月5日 猪狩記)
(付記 2)
まさか、この1週間後に悪夢の大震災に襲われるとは夢想だにせず。